文章練習

あきたらやめる

パンチングマシーン日和

 ひさびさにパンチングマシーンをやりたくなった。もうずいぶんやっていない気がする。やりたくてしかたない。人生における次の目標は、パンチングマシーンをやることだ。ところで、「人生における次の目標」を「次の人生における目標」と書いたら、「来世」みたいになってしまうので気をつけたい。

 たやすく徒歩で行ける距離にはゲームセンターがなく、自転車の類もないので、電車で楽に行けそうなところを探す。どうやら近隣駅の周辺に、大きなゲームセンターがあるらしい。その店のサイトを確認すると、設置機種一覧にパンチングマシーンが記載されている。これはもう行くしかない。

 買ったばかりの新しい靴を履く。靴で気分も変わる。今回はまるで新しい靴を履いたときみたいな気分だ。ドアを開けて外気に触れた瞬間、身が引きしまってモードが切り替わる。服を通りぬける風が快く、もうしばらくこのままでいたいという気持ちになってくる。しかし靴の柔らかな履き心地に高揚した足が「早く行こうよ」とせかすので、すぐに出発することにした。弾むような足どりでゲームセンターに向かう。うきうきしてスキップしているわけではなく、靴の反発力と追い風の影響だ。

 そうこうするうちに目的地に到着。あとは思いきり殴りとばすだけだ。店内に入ると轟音で気分が悪くなってきたものの、この不快さはパンチングマシーンにぶつければいい。野暮を言わずに受け止めてくれるにちがいない。だが肝心のパンチングマシーンはどこにある? 見つけられないので店員に訊くと、もう置いていないのだとか。あの設置機種一覧は以前のものだったらしい。しかしそんなこともあろうかと、事前に付近一帯のゲームセンターを調べておいた。なんて準備がいいのだろう。
 まずはそこからもっとも近い店に足を運ぶ。ここにもパンチングマシーンはない。そしてまた別の店舗に向かう。ここにもない。さらに別のところへ。それでもパンチングマシーンはない。最後のゲームセンターにおそるおそる足を踏み入れる。しかしどこを探しても見あたらない。ああ、愛しのパンチングマシーンよ、100円で買える喜びよ、いったいどうしたというのか。内なるソニックブラストマンがむなしく叫ぶ、「私のパンチを受けてみろ」と……。

 がっかりして帰途につく。電車のなかで、くだらないことをあれこれ考える。
 叶いそうにない願いは、部分的に叶えてみたらどうだろう? 細分化したり置き換えたりして、なんとなく叶った感じにするのだ。たとえば、鳥にはなれないが空は飛べる、というように。まあ、空を飛びたいとは思っても、鳥になりたいとはまったく思わないのだが。それはそれとして、これをパンチングマシーンに当てはめることはできるだろうか? 自分の手でも殴るとか? とりあえず殴ってみる。ただただ痛いだけだった。
 窓から外を眺める。家々が流れていく。あの家でもきっと誰かが暮らしているのだろう。『人間の大地』や『飛ぶ教室』にも、こんな場面があったことを思いだす。いろんな屋根の下に、いろんな生活がある。パンチングマシーンを探しまわって見つけられない人生も……。

 地元の駅で降りて改札口のほうへ向かうと、裸に大きめのワイシャツしか着ていないように見える人がいて驚愕する。そんな格好で外出するなんてどうかしていると思ったものの、よくよく見たらベージュか何かのスキニーパンツだった。どうかしているのはこっちだ。そもそもまじまじと見ずに目を逸らすべきではないか、という気もしてくる。

 疲れ果てた。とはいえ疲労の果てに快眠があると考えれば、そう悪くはない。疲れの原因が価値あることなら、その日を無駄にしなかった充足感にもつながる。今回は無駄そのものだったが。