文章練習

あきたらやめる

グスタフ・ヘルリンク゠グルジンスキの回想録

 ホルヘ・センプルンの『なんと美しい日曜日!』を読んで、グスタフ・ヘルリンク゠グルジンスキの回想録に興味をもった。ソビエト連邦での過酷な強制収容所体験を記した名著なのだとか。
 ざっと検索したところ、その回想録は日本でも刊行されていたことがわかった。日本語版には1954年出版の『死の収容所』(創美社)と1963年出版の『白い夜』(現代芸術社)があり、どうやらどちらも英語版*1である『A World Apart』からの重訳らしい。『死の収容所』『白い夜』ともに訳者が同じなので、『白い夜』は改題もしくは改訳と判断してよさそうだ。

 新しいほうが何かと無難だろうと考えて、とりあえず『白い夜』を手に入れた。ところが見るからにページ数が少なく、ページごとの文字数が多いわけでもない。もしやと思って『A World Apart』と対照したら、やはり『白い夜』は抄訳だったことが判明した。
 しかたなく『死の収容所』を入手したが、『白い夜』ほどではないものの、こちらもいくらか割愛されているようだ。しかしもう他に邦訳はない。全訳でないのを残念に思いながら、『死の収容所』を中心に読むことにする。

 読みすすめると、あきらかにおかしな文章が目につく。意味不明な箇所がいくつも出てくる。微妙な英語力でも気づけるような誤訳が多々あるのだ*2。『白い夜』を見ても、収録された部分に実質的な修正はほとんどない。文意がつかめなかったところや文脈的におかしいと感じたところはすべて誤訳だった、と言えるぐらい間違いだらけだ。誤訳の程度もひどい。発言者が入れ替わったり、内容が正反対になったり……。表記の揺れも多数あり、著者名すらそうなのだから驚かされる*3

 前述したように、全訳でなかったり誤訳が多かったりと、日本語版に対する不満はたくさんある。なかでも深刻なのは、英語版を参照しないと、理解できないどころか誤解してしまうことだ。
 他方で、「この訳文は何を表現しようとしていたのか」「文意を明快にするためにどんな修正が必要か」「どこをどう解釈して誤訳が発生したのか」「ふさわしい訳は何か」などをたびたび検討したことが、読み書きのいい訓練になったとも感じる。結果的にブログの目的に適う読書だった。

 もし邦訳が存在しなければ、この回想録を読もうとはせず、忘れがたい苦みを残すエピローグに心を動かされることもなかっただろう。そう考えると、さまざまな点で不満があるとはいえ、訳者の仕事は無価値だったわけではない。

*1:原文はポーランド語。

*2:一例を挙げると、 “The talks with Lavrenti Ivanovich soon made us close friends, and one day our conversation turned to the subject of our cellmates.” の前半部分を「ラヴレンティ・イヴァノヴィチとの話合いはまもなく私との友情を閉ざしてしまった」(『死の収容所』p.22)と訳したりしている。

*3:『死の収容所』『白い夜』ともに、カバーや表紙では「ギスターブ・ハーリング」となっているものの、著者紹介や奥付では「ギスターフ・ハーリング」となっている。序文では『死の収容所』が「ギュスターヴ・ハーリング」、『白い夜』が「ギュスターブ・ハーリング」で、とにかくまったく統一されていない。